そろそろ夏だなぁ~。
自転車でどっか行きたいなぁ~。
なんて思っている。
ふと、昨年の夏に行った海の事を思い出して
Googleで検索してみる。
「小樽ドリームビーチ」
オフィシャルサイトがありました。
http://www.d-beach.jp/
ブログ、ビーチのイベントや天気等の情報があって
「いいなぁ」なんて思いつつトップページを眺めてると
『海の家のオーナーに
なりませんか?』
なんてページが!!
ほーーーお。
楽しそう!
海の家のオーナーなんて、どうやってなれるのか?
そもそも何をやるのか?
お金はどのくらいかかるのか?
期間限定なのか??
なんて色々気になったけれども
詳細はリンク先のメールで教えてくれるそうなので、
とりあえずメールを送ってみた(^^
期間限定(海水浴シーズン)のオーナーなんじゃないのかなぁ
なんて勝手に思っているけど、きっとそれでもお金は相当かかるだろうし
実際にオーナーになれるとは思わないけど、ちょっと返信が楽しみです♪
※写真は本文と関係ありません。湘南です。(この写真を見る(Unacademicサイト内))※
自転車でどっか行きたいなぁ~。
なんて思っている。
ふと、昨年の夏に行った海の事を思い出して
Googleで検索してみる。
「小樽ドリームビーチ」
オフィシャルサイトがありました。
http://www.d-beach.jp/
ブログ、ビーチのイベントや天気等の情報があって
「いいなぁ」なんて思いつつトップページを眺めてると
『海の家のオーナーに
なりませんか?』
なんてページが!!
ほーーーお。
楽しそう!
海の家のオーナーなんて、どうやってなれるのか?
そもそも何をやるのか?
お金はどのくらいかかるのか?
期間限定なのか??
なんて色々気になったけれども
詳細はリンク先のメールで教えてくれるそうなので、
とりあえずメールを送ってみた(^^
期間限定(海水浴シーズン)のオーナーなんじゃないのかなぁ
なんて勝手に思っているけど、きっとそれでもお金は相当かかるだろうし
実際にオーナーになれるとは思わないけど、ちょっと返信が楽しみです♪
※写真は本文と関係ありません。湘南です。(この写真を見る(Unacademicサイト内))※
PR
昨日の話です。
ご飯を食べていると、
頬の内側を噛む事があることに気づきました。
最近机にばかり向かっていたせいか、太ってきたっぽいんですねぇ・・・顔から(笑)
というわけで、気分転換にも出かけようと思い
自転車にカメラを乗せて走り出しました。
母校がある江別市に向かって。
国道から道道に入り江別市の看板を過ぎると、一気に視界は広がり
広大な平野に目が奪われた。
途中で「そういえば、結婚して子供が出来た友人は江別在住だ」という事を思い出して連絡してみると、どうやら今日は「やきもの市」というイベントが江別駅前であって、そこに友人(中学の頃からの友人らしく、結婚式にも来ていた)と来ているとのこと。
現地で合流してみると(お子ちゃんも一緒だったら是非「生」で見てみたいと期待していたのだけど)残念ながら先ほど久々に親戚に預けて友人同士のひと時を満喫しているといった風情だった(笑)
ここは名誉の為に伏せておくけど、「やきもの市」は「器やオブジェなどのやきもの」以外にも色々と美味しそうな匂いのする出店が出ていて、先客達はテーブルについてマッタリしていた(^^
なんだかんだと取り留めなく話をしていると、あっという間にやきもの市の終わる18時になってしまった。
駅前で別れを告げて、母校へ向かってみた。
-卒業してから仕事で東京暮らしを始めても、何度か北海道に帰省した時は車で通り過ぎることはあったけど、自分の足でこの懐かしい江別の街を歩く事は無かった。
大学に入って最初の年は実家から通い、その後大学のすぐ側の5階建ての大きなマンションに住み、初めての一人暮らしを始めた。
それから家賃の安い(風呂トイレ別の1Kで2万円前後だった気がする。)木造アパートに移った。
どちらのマンション・アパートも思い出深いけれど、ちょっと古めのアパート暮らしは狭い上に隙間風が入ったりと慎ましかったのに、何となくそんな生活を送る自分が誇らしかった記憶がある(笑)-
そんなアパートをもう一度外観だけでも(当然だが)見に行ってみようと、大学に向かう道すがら見落とさないように注意しながら走った。
しかし、残念ながらそのアパートのあったはずのコンビニ裏はまったく風景が変わってしまっていた。
「卒業してから10年経つからなぁ」なんてちょっと寂しい気持ちになったけれど、気を取り直して大学へ向かった。(後で勘違いと気づくんですが…)
大学はさすがにそうそう無くなったりしないようで(笑)
きちんと理事長の銅像もあったし(茶色だと記憶していたのが、緑色の銅像だった。)、相変わらずカエルも鳴いていた。
卒業生とはいえ、なんとなく後ろめたいので早々に立ち去ったけれど
いつかまた友人同士で遊びに来てみたいなぁと、ふと思った。
「さて、またアパート跡地前を通って帰ろう」
と、懐かしさの余韻に浸りながら走っていると、さっき見たコンビニに違和感を覚える。
「こんな場所じゃなかった気がする」
立ち止まって、よくよく思い出してみると
この、今コンビニが入っているのテナントは以前はスーパーで
アパートの近くにあったコンビニの場所とは全く違うものだった。
という事は、アパートは?
アパート近くのコンビには?
と更に進むと、ありました。
コンビニの入っていた建物には今は何も無くなっており、
その裏手にあったアパートらしき建物はきちんと当時のままに・・・。
一応"建物名"を確認しておかないと気が済まないので、建物の正面に回ると、
あれ?名前が違う。
もともと
「淡△ハイツ」
だったのが、改名して
「ア◎ックハイツ」
になってる!!!(笑)
どうした、大家さん!
帰り道、ちょっと道を間違えたせいか、江別市から札幌市の境あたりに着く頃にはほぼ真っ暗になっていて、鉄塔と畑がわずかな陽の光か街頭の灯りかに照らされ、その遠くに新札幌だろうと思われるささやかな夜景が地平線代わりに景色を彩っていた。
思わずカメラを取り出してみたけど
三脚も無く酷い事になりそうだったので、近くの手すりで固定してシャッターを切った。
小さく小さく、丸く光っているのは花火です。
小さく小さく、鉄塔を入れた風景の片隅に写っているのも風情があっていいかなぁなんて思ったけど、あまりにも小さすぎて何がなんだかわからなくなりそうだったので「一応手ブレ覚悟で望遠でも押さえてみるか」とレンズを交換する頃にはもう花火大会は終わっていた(^^;
仕事だったらこんな失態は許されないんだろうなぁ・・・
(なんて事はその時は思いもしなかったけれど)
気の済むまで夜の田舎道を撮って、家の近所のビデオレンタル屋で古い映画と、何故か長渕剛の「LICENSE」のライヴDVDを借りたけれど
全身の疲れのせいか、気づけば今日の昼を過ぎていた。
ご飯を食べていると、
頬の内側を噛む事があることに気づきました。
最近机にばかり向かっていたせいか、太ってきたっぽいんですねぇ・・・顔から(笑)
というわけで、気分転換にも出かけようと思い
自転車にカメラを乗せて走り出しました。
母校がある江別市に向かって。
国道から道道に入り江別市の看板を過ぎると、一気に視界は広がり
広大な平野に目が奪われた。
途中で「そういえば、結婚して子供が出来た友人は江別在住だ」という事を思い出して連絡してみると、どうやら今日は「やきもの市」というイベントが江別駅前であって、そこに友人(中学の頃からの友人らしく、結婚式にも来ていた)と来ているとのこと。
現地で合流してみると(お子ちゃんも一緒だったら是非「生」で見てみたいと期待していたのだけど)残念ながら先ほど久々に親戚に預けて友人同士のひと時を満喫しているといった風情だった(笑)
ここは名誉の為に伏せておくけど、「やきもの市」は「器やオブジェなどのやきもの」以外にも色々と美味しそうな匂いのする出店が出ていて、先客達はテーブルについてマッタリしていた(^^
なんだかんだと取り留めなく話をしていると、あっという間にやきもの市の終わる18時になってしまった。
駅前で別れを告げて、母校へ向かってみた。
-卒業してから仕事で東京暮らしを始めても、何度か北海道に帰省した時は車で通り過ぎることはあったけど、自分の足でこの懐かしい江別の街を歩く事は無かった。
大学に入って最初の年は実家から通い、その後大学のすぐ側の5階建ての大きなマンションに住み、初めての一人暮らしを始めた。
それから家賃の安い(風呂トイレ別の1Kで2万円前後だった気がする。)木造アパートに移った。
どちらのマンション・アパートも思い出深いけれど、ちょっと古めのアパート暮らしは狭い上に隙間風が入ったりと慎ましかったのに、何となくそんな生活を送る自分が誇らしかった記憶がある(笑)-
そんなアパートをもう一度外観だけでも(当然だが)見に行ってみようと、大学に向かう道すがら見落とさないように注意しながら走った。
しかし、残念ながらそのアパートのあったはずのコンビニ裏はまったく風景が変わってしまっていた。
「卒業してから10年経つからなぁ」なんてちょっと寂しい気持ちになったけれど、気を取り直して大学へ向かった。(後で勘違いと気づくんですが…)
大学はさすがにそうそう無くなったりしないようで(笑)
きちんと理事長の銅像もあったし(茶色だと記憶していたのが、緑色の銅像だった。)、相変わらずカエルも鳴いていた。
卒業生とはいえ、なんとなく後ろめたいので早々に立ち去ったけれど
いつかまた友人同士で遊びに来てみたいなぁと、ふと思った。
「さて、またアパート跡地前を通って帰ろう」
と、懐かしさの余韻に浸りながら走っていると、さっき見たコンビニに違和感を覚える。
「こんな場所じゃなかった気がする」
立ち止まって、よくよく思い出してみると
この、今コンビニが入っているのテナントは以前はスーパーで
アパートの近くにあったコンビニの場所とは全く違うものだった。
という事は、アパートは?
アパート近くのコンビには?
と更に進むと、ありました。
コンビニの入っていた建物には今は何も無くなっており、
その裏手にあったアパートらしき建物はきちんと当時のままに・・・。
一応"建物名"を確認しておかないと気が済まないので、建物の正面に回ると、
あれ?名前が違う。
もともと
「淡△ハイツ」
だったのが、改名して
「ア◎ックハイツ」
になってる!!!(笑)
どうした、大家さん!
帰り道、ちょっと道を間違えたせいか、江別市から札幌市の境あたりに着く頃にはほぼ真っ暗になっていて、鉄塔と畑がわずかな陽の光か街頭の灯りかに照らされ、その遠くに新札幌だろうと思われるささやかな夜景が地平線代わりに景色を彩っていた。
思わずカメラを取り出してみたけど
三脚も無く酷い事になりそうだったので、近くの手すりで固定してシャッターを切った。
小さく小さく、丸く光っているのは花火です。
小さく小さく、鉄塔を入れた風景の片隅に写っているのも風情があっていいかなぁなんて思ったけど、あまりにも小さすぎて何がなんだかわからなくなりそうだったので「一応手ブレ覚悟で望遠でも押さえてみるか」とレンズを交換する頃にはもう花火大会は終わっていた(^^;
仕事だったらこんな失態は許されないんだろうなぁ・・・
(なんて事はその時は思いもしなかったけれど)
気の済むまで夜の田舎道を撮って、家の近所のビデオレンタル屋で古い映画と、何故か長渕剛の「LICENSE」のライヴDVDを借りたけれど
全身の疲れのせいか、気づけば今日の昼を過ぎていた。
昨日TVで見た映画「県庁の星」の"県庁さん"(織田裕二)の台詞。
とても心に残ったので、デスクの前に貼り出してみました。
しかーしこの言葉ひとつをじっくり考えてみると、
恐ろしいことに今の自分には「目の前の問題」が沢山ありすぎて
ちょっと、目の前が暗くなった(--;
気持ちを奮起させる為に貼ったのになあ。
※写真は本文と関係ありません(この写真を見る(Unacademicサイト内))※
この映画のレビューを検索してみると、結構映画としての出来に対する否定的な意見は多いけれども、伝えたいメッセージは現在の民間と行政の在り方についての問題に留まらず、個人個人の生き方についても十分に考えさせられる、良い映画だったんじゃないかと思います。
とても心に残ったので、デスクの前に貼り出してみました。
しかーしこの言葉ひとつをじっくり考えてみると、
恐ろしいことに今の自分には「目の前の問題」が沢山ありすぎて
ちょっと、目の前が暗くなった(--;
気持ちを奮起させる為に貼ったのになあ。
※写真は本文と関係ありません(この写真を見る(Unacademicサイト内))※
この映画のレビューを検索してみると、結構映画としての出来に対する否定的な意見は多いけれども、伝えたいメッセージは現在の民間と行政の在り方についての問題に留まらず、個人個人の生き方についても十分に考えさせられる、良い映画だったんじゃないかと思います。
ほんっとにどうでもいいのですが、
今日は用事で札幌駅へ。
ついでにFUJIFILMのフォトサロンへ。
今日は何を展示していたかと言うと、こちら
<フィルム一本勝負'09>「フィルム一本全部見せます!」
http://www.fujifilm.co.jp/photosalon/sapporo/
観光地のスナップ写真のグループ展でした。
幾人かで制限時間内にフィルム一本撮って、それをガチで全部公開するっていう企画みたい。
なるほど・・・
企画は面白い。
撮影は制限時間内に、しかもフィルムだからプレビュー画面でチェックしたり削除したり出来ないというだけあって(あくまで個人的な感想ですが)「なんか一杯一杯だなぁ」という写真から、「おおっ、よくぞ限られた時間と枚数の中でこんな写真を!」という写真もあって、自分の写真生活にちょっと刺激になりました。
自分はフィルムでほとんど撮ったことがない根っからのデジタルフォトグラファーで、いちいちプレビューを見て露出をチェックしたり構図をチェックしたりするのが癖になっているので、フィルムで普通にきちんと露出が取れる人を尊敬してます(おい)
こんな事を書いちゃダメかもしれませんが、かっこつけてもしょうがないので・・・
たまには自分を追い詰めないとねぇ・・・
がんばります。
とにかく、今日の札幌は暑かった!
なので夕方ビールを飲んで帰ろうとPRONTへ。
ビール割引券が使えるのってバータイム(18:00~)からなんですね。
というわけでパンだけ買って六時まで粘ってみようと思っていたら、思い出した・・・。
郵便物が夕方に届くって事を。
本当は一杯飲んでトムとジェリーを見て帰る予定だったんだけど、急いで電車に乗りました(´д`)
で、帰ってふてくされながらブログを書いている次第です。
・・・ブログを書いてて思い出した。
知人の写真をプリントしてあげないと。
・・・あぁ!!プリンタのインク買わないと!
忘れてた・・・近所のジャスコじゃ売ってない。
また札幌駅まで行かないと・・・。
というわけで、今度こそビールを飲んで帰ってきます。
電車代がもったいないので自転車で。
つづきは今夜・・・書きません。
----------------------------
と思ったけど、つづき。
再び行ってきました札幌駅。
ビアガーデンやってるんですねぇ。始まったんですねぇ。
七月頭から二ヶ月くらいやるみたいですねぇ。
でも仕事帰りのサラリーマン(とか、そうでないマンとか)で賑わっているので、やっぱりPRONTへ。
一杯では終わらんかった・・・。
ビール、美ら島ソーダ割りの後で
カウンターで店員さんがめっちゃジンジャーを擂っていたので、ジンジャーの入ったカクテルを作ってもらったら、クセになる旨さでした♪
で、そんなにのんびりしても居られないので帰ろうと外に出ると
昼間の天気が嘘のような大雨!
途中バス停で雨宿りしたりしながら帰ったけど
・・・何故すれ違う人たちはみんなちゃんと傘を差しているんでしょう・・・
帰ってから、久しぶりに天気予報を見ました。
今日は用事で札幌駅へ。
ついでにFUJIFILMのフォトサロンへ。
今日は何を展示していたかと言うと、こちら
<フィルム一本勝負'09>「フィルム一本全部見せます!」
http://www.fujifilm.co.jp/photosalon/sapporo/
観光地のスナップ写真のグループ展でした。
幾人かで制限時間内にフィルム一本撮って、それをガチで全部公開するっていう企画みたい。
なるほど・・・
企画は面白い。
撮影は制限時間内に、しかもフィルムだからプレビュー画面でチェックしたり削除したり出来ないというだけあって(あくまで個人的な感想ですが)「なんか一杯一杯だなぁ」という写真から、「おおっ、よくぞ限られた時間と枚数の中でこんな写真を!」という写真もあって、自分の写真生活にちょっと刺激になりました。
自分はフィルムでほとんど撮ったことがない根っからのデジタルフォトグラファーで、いちいちプレビューを見て露出をチェックしたり構図をチェックしたりするのが癖になっているので、フィルムで普通にきちんと露出が取れる人を尊敬してます(おい)
こんな事を書いちゃダメかもしれませんが、かっこつけてもしょうがないので・・・
たまには自分を追い詰めないとねぇ・・・
がんばります。
とにかく、今日の札幌は暑かった!
なので夕方ビールを飲んで帰ろうとPRONTへ。
ビール割引券が使えるのってバータイム(18:00~)からなんですね。
というわけでパンだけ買って六時まで粘ってみようと思っていたら、思い出した・・・。
郵便物が夕方に届くって事を。
本当は一杯飲んでトムとジェリーを見て帰る予定だったんだけど、急いで電車に乗りました(´д`)
で、帰ってふてくされながらブログを書いている次第です。
・・・ブログを書いてて思い出した。
知人の写真をプリントしてあげないと。
・・・あぁ!!プリンタのインク買わないと!
忘れてた・・・近所のジャスコじゃ売ってない。
また札幌駅まで行かないと・・・。
というわけで、今度こそビールを飲んで帰ってきます。
電車代がもったいないので自転車で。
つづきは今夜・・・書きません。
----------------------------
と思ったけど、つづき。
再び行ってきました札幌駅。
ビアガーデンやってるんですねぇ。始まったんですねぇ。
七月頭から二ヶ月くらいやるみたいですねぇ。
でも仕事帰りのサラリーマン(とか、そうでないマンとか)で賑わっているので、やっぱりPRONTへ。
一杯では終わらんかった・・・。
ビール、美ら島ソーダ割りの後で
カウンターで店員さんがめっちゃジンジャーを擂っていたので、ジンジャーの入ったカクテルを作ってもらったら、クセになる旨さでした♪
で、そんなにのんびりしても居られないので帰ろうと外に出ると
昼間の天気が嘘のような大雨!
途中バス停で雨宿りしたりしながら帰ったけど
・・・何故すれ違う人たちはみんなちゃんと傘を差しているんでしょう・・・
帰ってから、久しぶりに天気予報を見ました。
毎月、月末は思いつく事を書いてみる日と決めているので(今月から。)
今日は「自由」をテーマに書いてみようと思います。
コメントをくれても、ホームページのメールフォームでメッセージをくれても、ひっそりと胸の内で答えてくれても、何か感じるだけでも、別に何も感じてくれなくても、最後まで読んでも、速攻でウインドウを閉じてもいいです。
それは自由です。
って書くと誰もリアクションしないよね。笑
※本文と全く関係ありません。
「自由って一体なんだい?
どうすりゃ自由になるかい?」
「自由になりたくないかい?
熱くなりたくはないかい?
自由になりたくないかい?
思うように生きたくはないかい?」
これは自由を求め続け、自由の意味を探し続けた尾崎豊の歌の一節!
熱烈な尾崎ファンでもないけど、尾崎は何か共感できるというか曲と共に考えさせられる事が多いので、よく聴いたり歌ってみたりしていました。
余談でした。
若かりし頃の一時の疑問だったかもしれない。
けど、実は少年、青年の時代を経てもなお
心の奥底で問い続ける疑問だろうと思う。
少なくとも、僕はそうだ。
「自由を失わない。」
それは問い続けることじゃないか?
自分自身の今を見つめなおし、
この生き方は間違ってないだろうか?
そう問い続けることじゃないか?
「生き方」なんて大それたことじゃなくても。
皆さんもどれか一つくらい経験があるであろう、僕のごく日常的な選択シーンを下記に。
このパンにしようか、それともおにぎりにしておこうか?
いや、帰って自炊しようか?
こっちのショーウィンドウの華やかな道から帰ろうか、それともあっちの静かな道から帰ろうか?
今夜、ビールは1缶だけにしておこうか、それもとたまには友人誘って居酒屋いっちゃおうか?
ステロイドの入った薬でとりあえず症状を抑えようか、それとももうちょっとだけかゆみ止めで様子を見ようか?
おばちゃんたちの世間話に付き合おうか、それとも帰って勉強しようか?
会社を辞めようか、それとも残ってもう1年頑張ってみようか?
この思いをブログに書こうか、そんな事に時間を費やさずに勉強しようか?
街角のアンケートに答えようか、面倒そうだからやめておこうか?
手相を勉強しているという学生さんに声を掛けられたけど、みてもらおうか、やめておこうか?
今年はなんとか帰省しようか、それとも帰らずに仕事を片付けようか?
このメールを送ろうか、やめておこうか?
ストリートミュージシャンの演奏が気になるけど、少し足をとめてみようか、帰ってドラマを見ようか?
今日は広いお風呂で癒されたいから銭湯でも行こうか、それとも家の風呂で好きな歌でも歌いながらのんびり浸かろうか?
明日の朝は目覚ましにラジオをかけようか、それとも明日もシンディローパーをかけようか?
かように、ぱっと思いつくだけでも日常にこれだけの選択をする機会があります。
何も無理に選択しなくてもいいけど、それも「選択しないという選択」です。
「別の選択肢を探す」という選択もあります。
そこで、
「選択の自由。」
僕は「これまで選択の自由を失ったことは一度もない」と言いたい。
けれども、
実際はあるわけです。(リアルな話をしても逆にわかりづらいので、たとえ話にします。)
それは誰かに明らかに妨害されて、という分かりやすい形ではなく
「知らず知らずのうちに自由を奪われる。」という事で
それが人生において最も避けたい事なんじゃないかと思われます。
言い換えますか。
「周りに流される。」とか
「その選択をしないと、その場が収拾つかない。」とか
それはたとえば
新入社員歓迎の飲み会の席で
本当はまったりのんびり、近くの席の人あたりと談笑していたいのに
A「アムロの物まね出来るんだってー?」
B「マジでー!!!???」
C「アムロー!!!!!」
D「アームーロッ!アームーロッ!」
その他大勢「(期待の目で見つめる)」
自分「(しかたないなぁ・・・)」
っていうパターン(その①)。
もしくは
「あたかもその選択しかないんじゃないか、と思い込まされる。」とか(パターン②)
たとえば安月給カメラマンだった頃の自分(仮)。
写真スタジオ勤務、某談話室にて
E「いやー、写真家ならYカメラマンを知らないのはモグリだよね」
F「ですよね。っていうか、このYカメラマンの写真抜きで写真について語る事は出来ないですよね。」
G「知らないなら、絶対今日中に写真集買わないとダメだね。」
自分「じゃ・・・じゃあ・・・今月お金ないんで立ち読みしてみます。」
E「立ち読みって・・・そんなんだからいつまでたっても趣味レベルなんだよ」
自分「僕はZカメラマンが好きなんですけど」
一同「アレはないね。見る価値無いよ。」
そこにあらわる、尊敬するメインカメラマンのHさん
Hさん「あぁ、Yカメラマンね。俺もその人の写真集がきっかけでこの業界に入ったんだよ。」
G「本気でやりたいんだったら、まずは本物を知らないとね。」
自分「へえ~そんなにいいんですか~。」
Hさん「いいっていうか、基本だよね。」
自分「Zカメラマンはどうですか?」
Hさん「Zカメラマン?あれはないねー。」
一同「ですよねー。」
かくして、自分はYカメラマンの写真集を買おうと決意。
それは自由ですか?
一見、本人の自由です。
”始めは乗り気じゃなかったけれども、尊敬するHさんの勧めという事ですっかり購買意欲が芽生えた。”
そう捉えることが出来ます。
しかし、その購買意欲が芽生えるまでのプロセスを見て下さい。
本当に自由な状況であったと言えるでしょうか。
見えない権威に支配されている自分はいなかったでしょうか。
買って、写真集を開いた後でも・・・
「うーん、普通の写真集のような・・・いや、Hさんもイイって言っていたしこれはイイ写真なんだろうな。いいような気がしてきた。うん、これはイイかも!イイ!」
なんて思い込み。
選択という行為は、今までの自分の生きてきた中での経験(や記憶)を元に、その選択が自分なりに正しいと思えるかどうかの判断で行われるべきものだと思います。
たとえ客観的には流されているように見えても、自ら流されようという意思を持って流されるべきだと思うのです。
少々わかりづらい文章になってしまいましたが、
「みんながいいって言ってるんだから、いいのかも」と、何割かでも”他人の意見に委ねているという自分”をしっかり認識出来ているうちは、OK。
「みんながいいって言ってるんだから、いいような気がしてきた」と、そこに自分の意思が存在していないのなら、それはNG。
どのへんから自由が奪われ始めたのかというのは難しいところですが、
「みんなイイって言うけど、僕はちょっとなあ」
という疑問から、徐々に
「買わないとカメラマンとしてダメなのかも」
と、強迫観念から物事の本質を見極める事を後回しにして、
人の意見ばかりを尊重し始めてしまっているあたりなんじゃないでしょうか。
文章や例えが下手ですが
「心理誘導」という言葉があるかは知りませんが
物事の本質を見極める自由の上に、遮光幕を覆い被せてしまう。
そんな事が人生には多々あると思います。
それが結果として人生にプラスになるなら結果オーライかもしれない。
けど、自分の意思が機能しなくなるリスクを背負う(自由が奪われる)可能性があるのなら、出来るだけ(例え話でいうなら「談話室」を)避けて通るのは悪い選択じゃないのかもしれない。
さて、僕は明日一日も自由な意志で過ごせるだろうか。
たまに考える事です。
今日は「自由」をテーマに書いてみようと思います。
コメントをくれても、ホームページのメールフォームでメッセージをくれても、ひっそりと胸の内で答えてくれても、何か感じるだけでも、別に何も感じてくれなくても、最後まで読んでも、速攻でウインドウを閉じてもいいです。
それは自由です。
って書くと誰もリアクションしないよね。笑
※本文と全く関係ありません。
「自由って一体なんだい?
どうすりゃ自由になるかい?」
「自由になりたくないかい?
熱くなりたくはないかい?
自由になりたくないかい?
思うように生きたくはないかい?」
これは自由を求め続け、自由の意味を探し続けた尾崎豊の歌の一節!
熱烈な尾崎ファンでもないけど、尾崎は何か共感できるというか曲と共に考えさせられる事が多いので、よく聴いたり歌ってみたりしていました。
余談でした。
若かりし頃の一時の疑問だったかもしれない。
けど、実は少年、青年の時代を経てもなお
心の奥底で問い続ける疑問だろうと思う。
少なくとも、僕はそうだ。
「自由を失わない。」
それは問い続けることじゃないか?
自分自身の今を見つめなおし、
この生き方は間違ってないだろうか?
そう問い続けることじゃないか?
「生き方」なんて大それたことじゃなくても。
皆さんもどれか一つくらい経験があるであろう、僕のごく日常的な選択シーンを下記に。
このパンにしようか、それともおにぎりにしておこうか?
いや、帰って自炊しようか?
こっちのショーウィンドウの華やかな道から帰ろうか、それともあっちの静かな道から帰ろうか?
今夜、ビールは1缶だけにしておこうか、それもとたまには友人誘って居酒屋いっちゃおうか?
ステロイドの入った薬でとりあえず症状を抑えようか、それとももうちょっとだけかゆみ止めで様子を見ようか?
おばちゃんたちの世間話に付き合おうか、それとも帰って勉強しようか?
会社を辞めようか、それとも残ってもう1年頑張ってみようか?
この思いをブログに書こうか、そんな事に時間を費やさずに勉強しようか?
街角のアンケートに答えようか、面倒そうだからやめておこうか?
手相を勉強しているという学生さんに声を掛けられたけど、みてもらおうか、やめておこうか?
今年はなんとか帰省しようか、それとも帰らずに仕事を片付けようか?
このメールを送ろうか、やめておこうか?
ストリートミュージシャンの演奏が気になるけど、少し足をとめてみようか、帰ってドラマを見ようか?
今日は広いお風呂で癒されたいから銭湯でも行こうか、それとも家の風呂で好きな歌でも歌いながらのんびり浸かろうか?
明日の朝は目覚ましにラジオをかけようか、それとも明日もシンディローパーをかけようか?
かように、ぱっと思いつくだけでも日常にこれだけの選択をする機会があります。
何も無理に選択しなくてもいいけど、それも「選択しないという選択」です。
「別の選択肢を探す」という選択もあります。
そこで、
「選択の自由。」
僕は「これまで選択の自由を失ったことは一度もない」と言いたい。
けれども、
実際はあるわけです。(リアルな話をしても逆にわかりづらいので、たとえ話にします。)
それは誰かに明らかに妨害されて、という分かりやすい形ではなく
「知らず知らずのうちに自由を奪われる。」という事で
それが人生において最も避けたい事なんじゃないかと思われます。
言い換えますか。
「周りに流される。」とか
「その選択をしないと、その場が収拾つかない。」とか
それはたとえば
新入社員歓迎の飲み会の席で
本当はまったりのんびり、近くの席の人あたりと談笑していたいのに
A「アムロの物まね出来るんだってー?」
B「マジでー!!!???」
C「アムロー!!!!!」
D「アームーロッ!アームーロッ!」
その他大勢「(期待の目で見つめる)」
自分「(しかたないなぁ・・・)」
っていうパターン(その①)。
もしくは
「あたかもその選択しかないんじゃないか、と思い込まされる。」とか(パターン②)
たとえば安月給カメラマンだった頃の自分(仮)。
写真スタジオ勤務、某談話室にて
E「いやー、写真家ならYカメラマンを知らないのはモグリだよね」
F「ですよね。っていうか、このYカメラマンの写真抜きで写真について語る事は出来ないですよね。」
G「知らないなら、絶対今日中に写真集買わないとダメだね。」
自分「じゃ・・・じゃあ・・・今月お金ないんで立ち読みしてみます。」
E「立ち読みって・・・そんなんだからいつまでたっても趣味レベルなんだよ」
自分「僕はZカメラマンが好きなんですけど」
一同「アレはないね。見る価値無いよ。」
そこにあらわる、尊敬するメインカメラマンのHさん
Hさん「あぁ、Yカメラマンね。俺もその人の写真集がきっかけでこの業界に入ったんだよ。」
G「本気でやりたいんだったら、まずは本物を知らないとね。」
自分「へえ~そんなにいいんですか~。」
Hさん「いいっていうか、基本だよね。」
自分「Zカメラマンはどうですか?」
Hさん「Zカメラマン?あれはないねー。」
一同「ですよねー。」
かくして、自分はYカメラマンの写真集を買おうと決意。
それは自由ですか?
一見、本人の自由です。
”始めは乗り気じゃなかったけれども、尊敬するHさんの勧めという事ですっかり購買意欲が芽生えた。”
そう捉えることが出来ます。
しかし、その購買意欲が芽生えるまでのプロセスを見て下さい。
本当に自由な状況であったと言えるでしょうか。
見えない権威に支配されている自分はいなかったでしょうか。
買って、写真集を開いた後でも・・・
「うーん、普通の写真集のような・・・いや、Hさんもイイって言っていたしこれはイイ写真なんだろうな。いいような気がしてきた。うん、これはイイかも!イイ!」
なんて思い込み。
選択という行為は、今までの自分の生きてきた中での経験(や記憶)を元に、その選択が自分なりに正しいと思えるかどうかの判断で行われるべきものだと思います。
たとえ客観的には流されているように見えても、自ら流されようという意思を持って流されるべきだと思うのです。
少々わかりづらい文章になってしまいましたが、
「みんながいいって言ってるんだから、いいのかも」と、何割かでも”他人の意見に委ねているという自分”をしっかり認識出来ているうちは、OK。
「みんながいいって言ってるんだから、いいような気がしてきた」と、そこに自分の意思が存在していないのなら、それはNG。
どのへんから自由が奪われ始めたのかというのは難しいところですが、
「みんなイイって言うけど、僕はちょっとなあ」
という疑問から、徐々に
「買わないとカメラマンとしてダメなのかも」
と、強迫観念から物事の本質を見極める事を後回しにして、
人の意見ばかりを尊重し始めてしまっているあたりなんじゃないでしょうか。
文章や例えが下手ですが
「心理誘導」という言葉があるかは知りませんが
物事の本質を見極める自由の上に、遮光幕を覆い被せてしまう。
そんな事が人生には多々あると思います。
それが結果として人生にプラスになるなら結果オーライかもしれない。
けど、自分の意思が機能しなくなるリスクを背負う(自由が奪われる)可能性があるのなら、出来るだけ(例え話でいうなら「談話室」を)避けて通るのは悪い選択じゃないのかもしれない。
さて、僕は明日一日も自由な意志で過ごせるだろうか。
たまに考える事です。